『けものフレンズ』色々情報・考察まとめ

けものフレンズの設定・IFの仮定について考察・情報提供するよ。【リンクフリー】

【ネタバレあり】けものフレンズ3・シーズン2を終えて。【女王・ルーラー考察】

はじめに

この記事ではシーズン2の第5~7章の内容について、ルーラーと女王に焦点を当てて考察します。
この際、けものフレンズの世界では「考える能力(悟性)」と「感情を抱く能力(情動)」は別のものとして扱われているため、便宜上「悟性」と「情動」の二語を使い分けることにします。

ルーラーと女王の変化

ルーラーや女王はセーバルとの共鳴により、より高度な悟性と同時に「情動」を持つようになりましたが...
情動を得て狂ったルーラーと、情動を否定して機械であり続けた女王は、どちらも崩壊間際になって初めて、高度な生物の持つ最大の能力「モノの意味に対する疑問」を始めて抱いていました。
(「ジョオウノタメ ワタシガユルサナイ? ワタシガ? ジョオウハ? オマエ? ナン デ」「おま え たちの 目には、何が 、見えてい る?」など。)

最初で最後の疑問。

最初から輝き(=いのちの輝き)という答えを持っていた(情動を解することができた)セーバルは、初代けものフレンズの時点ですでにそこに辿り着いていたにも関わらず…(フレンズ化する以前から明らかに感情を持っていました。)
しかし、セルリアンにとって情動の声に従うということは「ヒト化(フレンズ化)」することと同義。「生きない」「保存し、再現する」セルリアンであり続けることを是とする女王にとってそれは看過できない。故に生きる者と分かりあうことはない...。
相変わらず美しい対立構造でした。

情動がモノに意味を与えるのなら、ただ再現するだけでモノの意味を必要としないセルリアンにとってソレは必要がない。女王は生物のように情動を得ずとも、元より悟性が備わっていたため、セルリアンとして存在するだけなら情動を持つこと...生きる必要はないというのも頷けます。
(「セルリアンは生きない」「無意味だ」等の本人の主張がそれを物語っている。)

女王の演説。

ルーラーの狂気

ルーラーは情動を得る前から狂ったような言動をすることが多々ありましたが…それはあくまで「風の音」であり、ただのコピーされた音にすぎませんでした。
情動を得てからは段々と知的な行動が見られるようになっていきましたが、やがて「壊れる」こととなります。
本人の「水鏡」の性質なのか、始まりから終わりまでまるでレコーダーのように「記録と再現」を繰り返していたルーラーは、心を得たことで正しく壊れたレコーダーになってしまう訳です。
では、なぜ情動によってルーラーは狂ってしまったのでしょうか。私の仮説では、「感性は機械には荷が重すぎた」のではないかと思っています。例えるなら、今まで「2進法の情報」だけを扱っていたコンピューターが突然「10進法の情報」を扱い始めるようなものです。空がきれい」だとか「オイラーの等式は美しい」だとか理解不能な、今までに例のない感性を受け入れ続けたことで、その負荷に耐えきれず悟性も情動も破壊されてしまったのではないでしょうか?

ルーラーセルの最期。左上から横に読んでいくのが正しい(が、縦でも普通に読める。)

現に、「もはや輝きが見えていない」「壊れている」と女王に指摘されています。知覚機能が壊れてしまったのです。
そして最期は知っての通り、女王に対し「謎の感情(ユルサナイ)」を抱き、その答えを得る前に崩壊してしまいました。

女王のその後について

けものフレンズ2の舞台裏で語られたように、後に女王はパークに再来し、キュルルの元となる子供を取り込んでコピーすることになるのですが...
この時抱いた疑問(情動)は消えてしまったのでしょうか?その理由はふた通り考えられます。

・切り捨て説

復活してもう一度よく考えてみたor輝きについた学んだ結果、やはりセルリアンとして生きる(?)ことを決め、ヒトの情動を拒絶した。

・輝きの喪失説

情動はあくまでセーバルから共鳴によって一時的に得たものに過ぎず、次回再出現する際は(別個体なのも関係?)知識のみを受け継ぎ、情動は受け継がなかった。
ただ共鳴して得た形質は失うものなのかが不明です。

おわりに

シーズン2ではアニメやコンセプトデザインの設定を回収しつつ、セルリアンといのちについてより深く掘り下げる話でした。設定厨としては非常に満足の出来です。
また、輝きのフレンズからホワイトサーバルへ繋がる物語も、同時並行でしっかりと完結していたように思えます。
ありがとう、けものフレンズプロジェクト!

何か違った意見がありましたら、ご気軽にコメントください。